気の向くままに

アイドルって素敵。 掛け持ち日記。

嵐の後の虹。

 

1995年に生まれて、物心ついた時から嵐はいた。

初めて認識したのはいつだったかよく覚えていないが、

よい子の味方をみて「あれ、この人かっこいい」と思ったことだけは覚えている。

当時から自分のことをベラベラと喋る人間ではなかったし、ジャニーズ好きでもなかったので、

「いや、そんなはずはない」と自分の気持ちを無視していた。

(のちの2018梅芸で西村に落ちる時もそんな思考回路だったじゃんそういえば)

 

それから本格的に嵐に興味を持ったのは小6の時。

幼馴染みが花男にはまり、教室で嵐のダンスを踊ってくれたり、いろんな情報を得ていた。その中でまごまご嵐だったり、GRAだったりを見ていたと思う。たまたま家にあったTimeのアルバムも聞いていた。どれが誰の声か聞き分けられるように必死に聞いていた。

中2の時。嵐が10周年。嵐にハマっている友達が増え、周りがほぼ嵐ファンになった。おすすめのDVDを教えてもらって初めてAAAのDVDを買った。初めて買ったCDはTroublemakerで売り上げに貢献していることがめちゃくちゃ嬉しかった。ある時まではフィルムまで大切に保管していた。毎日嵐の話をして、授業中ノートの隅に嵐の名前を書いたり、歌詞を書いた手紙を送りあったりしていた。とにかく歌詞を書いていた。2番までしっかり覚えようと曲を聴きながら記憶しようとする努力が凄かった。あの時特有のあの熱中加減は凄かったように思う。

ファンクラブというものがあることを知り、当時の私は自力で払えるお金がなかったので、高校生になってから入ろうと思った。

嵐の宿題くんがやっていたのはこの頃だったっけ。深夜にやっていることを知り、当時ガラケーワンセグ機能があったので、1人部屋でリアルタイムで見ていた。夜更かししているのがバレたくなかったので布団の中で隠れて見ていたが、ZEROの櫻井翔の後に出てくる映像が滑稽すぎて本当に面白かった。布団の中でのたうち回りながら、笑いを堪えながら見ていた。とても楽しかった。

高校受験で第一志望の結果発表日。の前にLotusをフラゲしてゲットしていた。当時ラジオで初めて聞いたeverが心に響いて泣いてしまってから、everが大好きだった。第一志望は結果落ちてしまった。その後家に帰って聞いたeverで号泣をしたのはずっと忘れられない。何回か聞いてるうちに笑顔になれたのもまた嵐の曲だった。

高校に入ってファンクラブに入ったら、番号が100万台だった。2週間後に入った別の友達の番号は2万の差があった。2週間でファン2万人増えてる嵐えぐ、とその時ちょっと引いた。

ライブに応募するようになったが、落選。落選。落選続きだった。それが当たり前だった。初めて当たったのはPopcornだった。人生でまだ1回しかない復活当選だった。初めてのライブ。初めてのドーム。初めての生で見る嵐。初めての櫻井くんだった。本当に実在するんだと思った。挨拶で叫ぶ人に遠回しに櫻井が注意していた。貴方が聞きたくないなら聞かなくていいけど、周りの人が聞きたいかもしれないから、と言っていた。すごくハッキリ言う人なんだとまたさらに好きが募った。

国立は全く当たらなかった。その当時は当たり前だったからそこまでショックではなかった。だけど、グッズのために朝6時から6時間半並んで現場に入らずそのまま帰った時はさすがに中に入りたいなぁって思った。学生でお金がなかったので、必要最低限のものしか買えなかった。これとこれとこれを買うって決めて行ったのに、当日ビジュアルを見て全くの別のものだらけを買って帰ってきたこともあった。

大学受験の年。LOVEのコンサートは我慢をして、グッズすら買わなかった。行きたかったなぁ。センステメインの構成めちゃくちゃ好きだったなぁ。モノクロの演出がめちゃくちゃ好きだったなぁ。大学生になってちょっと余裕ができて、宮城のライブに行けた。周りにあった屋台のものを食べながら会場の外でリハの音を聴かないように頑張っていた。嵐のライブではあの席が1番メンステに近かったんじゃないかなぁ。3年ぶりに当たった席はアリーナAブロだった。櫻井くん目の前通ったのに、全然団扇アピールできなかった、下手だった。ユメニカケル衣装が好きすぎて「待ち受けにしたい!待ち受けにしたい!」とずっと叫んでいた。私が野外で見た嵐のライブはあれが最初で最後で、花火も初めて見た。あの時の景色まだ覚えてる。

その後も毎年なんだかんだライブには行けていた。DIGITALIANでは乗ってくる気球の高さに驚いて、そんなにも近くに来てくれるのかと感動したし、Japonismでは友達2人とメンカラオソロコーデして入ったり、あゆはぴでは天井席がこんなに楽しいもんかと改めて嵐の凄さを実感した。

2016年頃だったかな、既に全ての嵐の曲を聴き、大抵の嵐情報を知っていた私は以前ほどの熱狂的な気持ちが無くなってきていることに気づいた。そんな時JUMPにハマった。その半年後WESTにハマった。流れで関ジュにもハマった。学生だったからお金がなかった。それに新しい沼というのは楽しいもんで、私は嵐のオタクを辞めた。

それでも嵐はずっと好きだった。バラエティをたまに見てもツボが一緒なので、嵐が笑っていたら私も笑っていた。永遠なんて無いとわかっていても、嵐はずっと当たり前にあるものだと信じていた。物心ついた時にはもう嵐がいたから。

20周年のライブをやると聞いた。50回だったっけ。さすが嵐はやることが違うなと思った。ファンのリクエスト曲のアンケートをしてると聞いて、楽しそうだな〜、めちゃくちゃ好きだったから20周年の記念品貰いたいな、という軽い気持ちでもう一回FCに入った。

2019年1月27日。忘れもしない。WESTのライブに行った帰りの新幹線。Twitterで見た、活動休止の文字。一緒に帰っていた子も嵐を通ってきてるオタクだったので皆んなで速攻FCの動画を見た。近くにいた知らないWEST担も見ていた。余談だが嵐とWESTの掛け持ちは意外と多い。(私調べ) ついにきてしまったかという気持ちでいっぱいだった。

あの発表があってから約2年間。ずっと寂しかったけれど1番最初に感情が出たのは、活動休止発表後すぐのMステだった。感謝カンゲキ雨嵐の時の、ファンの「あらしー!」の声が、行かないで!って言ってるみたいで、凄くすごく寂しさを感じて、家族と一緒に見てる中涙がこらえられなかった。

2019年11月。新しく入り直したFCでライブに当たった。ファン全員をライブに入れるつもりの動員数だったので、入り直して本当に良かったと思った。中学高校時代がっつり嵐しか勝たん状態だったので、やっぱり20周年は祝いたかった。活動休止というのもあったけど、単純に嵐が5人で20周年続けられたそのことが、本当に当たり前じゃないんだと肌で実感して、泣いた。MCで泣いた。アオゾラペダルでピアノ弾いてて泣いた。アニバーサリーイヤーで泣くとはこういう気持ちかと思った。今までのことが走馬灯のように蘇ってきて、気持ちが抑えられなかった。20年のうち半分しか見てきてないのに、途中でやめたのに、櫻井くんは全てのファンの人、少しでも嵐を好きでいてくれた期間がある人全員にお礼を言ってくれた。全部見られていた気がした。

 

たぶん2年間という期間がなければ、最初に思った「なんで?なんで?活動休止?」と疑問に思う感情は残り続けていたと思う。今アイドルに明日辞めると言われてもおかしくないこの世の中で、こんなに長い期間考える時間を設けてくれた嵐は本当に凄いと思う。ただひたすらに寂しいという感情だけで見送ることができたのは、とても幸せなことだと思った。

晦日のライブはいつも通り楽しかった。本人達が楽しそうにやっていたから。本人達が楽しいなら私も楽しいし、寂しいなら私も寂しい。風の向こうへだったり、明日の記憶だったり、程よくみんなが知っている中で、最近歌っていなかった歌を歌っていて、みんなが「ああ、懐かしい」って思える曲がたくさんあった。個人的にはマイガール歌ってくれて本当にありがとう。

最後5人が肩を組んで階段を登っていって、いつもみたく手を握って何も言わずにいなくなった。それまでずっと笑顔だった櫻井くんは堪えきれず泣いていた。泣いた場面は何度か見たことあるけど、あんなに子供みたいな泣き顔は初めてかもしれない。たぶん私はずっとあの顔を忘れないでしょう。

嵐がいなくなったあと、ステージには虹がかかっていた。私が今まで10何年も見てきたものは、もしかしたら全て夢だったのでは、と思ってしまうほど綺麗な虹だった。

 

記憶の断片をたどりながらここまで書いてきたが、こんなのほんの一部で、その時々、ドラマにしろ何にしろいろんな感情があった。ドラマの最後に生放送で生電話してるのを見るのちょっとモヤッたりさ。CD買い始めたは良いけど、ちょうどドラマリレーの時期で1ヶ月に1回何かしら買ってたなとかさ。他にもたくさんあった。さすがに全部は覚えてないし書ききれないので、今まであった可能な限り思い出せること、少しだけでも長く覚えておきたかったので、つらつらと書いてしまいました。やっぱりここ2、3年の話じゃなく、10年レベルなのでクソデカ感情になってしまうな。

 

今では後輩達を主に応援してるので、もはや推し達と嵐の良さについて語れるレベルですが、やっぱり寂しいし、つらい。活動休止に入って、一緒にバラエティ共演とか!連絡取り合ってるとか!番組のVフリしてるとか!そんなん見てるだけで泣いてる自分がいる。

 

°C-uteが解散した時も喪失感が底知れなくて、何年経っても定期的にライブ見て、どっかにいないかな〜シングルまだかな〜て探しちゃう自分がいて。そんな存在がまた増えてしまうなんて。

 

でももしかしたらそれでいいのかもしれないな。そうすればみんなの中に生き続けるしね。新しい供給はないけど。

 

本当にこのクソデカ感情兼壮大なオタク記録を最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

そして、

21年間本当にお疲れ様でした。

絶対にまた戻ってくるって信じてます。

そん時はまたみんなで泣こうな!!!!!!!